2019-03-20 第198回国会 参議院 農林水産委員会 第3号
しかし、一義的には、農村で生まれ育った方が引き続きその地域で営農できるように、あるいは次男坊、三男坊が長男坊の兄貴と違う農業をその地域でできる農業、あるいは高齢者になって、あるいは定年して戻ってこれ、そこで新しい農業に着手できる幅広な農業が大事だろうというふうに思っています。
しかし、一義的には、農村で生まれ育った方が引き続きその地域で営農できるように、あるいは次男坊、三男坊が長男坊の兄貴と違う農業をその地域でできる農業、あるいは高齢者になって、あるいは定年して戻ってこれ、そこで新しい農業に着手できる幅広な農業が大事だろうというふうに思っています。
だから、ある程度年をとると、年をとって六歳ぐらいの長男坊になると、これはアメンボだ、カエルだと、いろいろなものがいて、ぐちゃぐちゃ走り回れるんですけれども、つまり、私としては、この国の文化の根幹でもある田んぼというものに連れていったことがほとんどなかったんだなという問題意識を持ったわけです。
中小企業の長男坊として生まれまして、また民間企業のサラリーマン出身者として、日本の企業の持てる力を思う存分に発揮し、この日本をもう一度成長する国にしていきたいと考えております。
中小企業の長男坊として生まれ、また民間企業のサラリーマンを経験した中で、今、日本の真の成長をもう一度取り戻すために、諸課題の解決に向け、また東日本大震災復興、真の復興のために、茂木経済産業大臣を先頭として、懸命に取り組んでまいりたいと思っております。 富田委員長、与野党の各理事の先生、委員各位の先生方の御指導、御鞭撻をよろしくお願い申し上げまして、一言御挨拶といたします。お世話になります。
○吉泉委員 そうすると、研修計画の中にある就農形態のところに、新たに経営を開始する、この人数が三千五百九十七、それから親元のところの就農、いわゆるIターン分も含めて、農家のところの長男坊だとか跡取りだというふうな人たちが一万一千八百五十六、それから雇用就農をする、そういう人たちが二千九十四人、こういう捉え方でいいですか。
私、三人兄弟の長男坊でございまして、実は弟二人が消防士をやっております。すぐ下の弟が、今回、次に質問します斎藤さんの選挙区でもございますが、荒浜というところの人命捜索を震災後ずっと続けております。しかしながら、弟たちが消防士として捜索したところに、また警察の方が後から来て捜索する、自衛隊の方がまた来てやっているといったように、どうも横のつながりが悪いといった点が指摘されております。
私も地方に住んでおりますので、昔であれば長男坊はみんな消防団員だという形の社会的な枠組みがつくられたところもあったのでありますけれども、最近は本当にサラリーマン化ということで、大臣のお話のとおり、消防団の協力事業所の認定制度、そういうものでもって何とかサラリーマンの方々にもということで、実は消防庁の認定制度で事業所の第一号が私の隣町の大手のセメント工場さんが認定されまして、随時それもふえておりますし
今、自分ももう四十過ぎて、後継者、残念ながら長男坊を交通事故で三年ほど前に亡くしております。ただ、次男と三男をどのように、この同じ農業、この牛の道に持っていこうかなという育て方を今一生懸命考えております。スポーツをさせながら、親子の触れ合い、家の手伝いもさせながら、きのうたまたま家庭訪問だったんですけれども、三男坊が、僕はお父さんと一緒に牛をやりたいと。やはりうれしいですね。
ちょっと余談になりますが、我々が若いときは、家の長男坊は役場か国鉄か郵便局へ入れようと、そして長男坊は家を継いでもらおうと。谷垣大臣、顔を上げましたけれども、谷垣大臣のところにしたって、例えば、厚労大臣の鹿児島にしたって同じような感覚じゃないかと思うんです。そうやって家も継いでいった。そういうこともあるんですよね。
私の息子たちがもうすぐ三十なんですが、まだ我々の世代までは、我々も集落、農家の長男坊ですから農業というのはおぼろげながらに分かっていまして今引き継いだ形になっているんですが、正に先生御指摘の、特に都会住民の、我々同世代なり我々の息子世代等々、あるいは娘世代については全く分からないんですね。
そして、長男坊はそこに残って、次男坊以下は都会に行った。工場で働いた。会社に行った。いろいろな幸せな歴史があったんです。 今、農業でそれだけしか雇用、労働力をここ吸収できない世の中になりまして、産業構造でいうと、だれがどのぐらい、どの場所で働いてもらいたいというふうに、これは政府が決めるわけにはいきませんけれども、おぼろげながらこの意識というのはあろうかと思います。
それで、特に農家の長男坊に生まれたら、そのまま何のプロブレムもなく農業に就農できるわけであります。しかし、たまたま農業以外に生まれた子供が農業をやるんだというふうに言っても、これは大変な騒ぎであります。農地を取得するためにどんな苦労があるのか、農業を研修するための道が今少しずつ用意をされてはいますけれども、大変な道のりだろうというふうに思います。
道路公団でも、この最初の建設費削減分あるいは上乗せ建設費削減分、これは道路公団に、もう直接命令系を持った、親と長男坊みたいな密接な関係の公団に厳命すればよかったんです。 そうして見ると、私は、新直轄の三兆円だけが膨らんで、これは税金ですよ。
そのことについて、化粧品部門は長男坊でもうかっているんだなんてピントの外れた答弁をしているんですね、これは許しがたいことなんですが。 その上で、その黒字の化粧品部門を計算して、のれん代とか含めてディスカウント・キャッシュフローで三千八百億円、正当に評価したなんて、それが甘いんじゃないか。実際に、不良在庫がかなりある、すごい規模である。
これについては、例えで言いますと、家族の中の長男坊、これが化粧品部門で非常に頑張って利益を上げておる、それから、次男、繊維関係等、そういう赤字を補ってまいって、そして運営されているわけでございます。
それと、長男坊で家を跡取りしないといけない、そういう人は役場か国鉄かというのが大体相場だったんです。 そういう中で、国鉄改革であのような状況になったものですから、私はあの千四十七人の皆さんの気持ちというのはよくわかるんです。
ですから、私が子供のころには、平場の農業というのは長男坊が後を継ぐ、次三男はみんな山へ行ったんです。そして、山を整えながら自分が食うだけの水田をやった。だから、祭りになりますと、山に行った苦労している次三男をみんなもてなしたものです。川下の者は川上を大切にしたものです。 そういうふうな蓄積というのが、僕は戦後の日本の工業化を成功させたと思う。
六人おるわけですが、それを頂点とした先ほど言ったファミリーという集団がございまして、その中でいろんな教科面、生活面の指導をしていただいておりますので、非常にそういう意味ではファミリー、つまり教師がおやじです、そして一番上が長男坊です、高校三年生が長男になる、一番下が末っ子です。
その中で、これはこの前陳情に来られました私の地元の話でございますが、ミカンを営む農家がございまして、去年の水害でございますけれども、あの水害でもう営農意欲を失ったということで実は長男坊が、ミカンにつきましては今大変苦しい状況にあるわけでございますが、そういう中で、いい品をつくろうということで頑張って実は銀座の千疋屋にもそのミカンを出すようになってきた。
今もちょっと昼休みでテレビを見ておりましたから、「ひるのプレゼント」か何かで、総体的に今地方では、言うなれば第一子は、第一子、長男坊でございますけれども、は事業を継承するとか地元に落ちつくということでございますけれども、どうも中間子と申しましょうか次男坊、三男坊、四男坊なんかはほとんど都会に流れてくる。
特に地方都市といいますのは、長男坊はどちらかといいますと、国鉄に勤めたり郵便局に勤めたり市役所に勤めたりして、一方では農業の仕事をしたりあるいは代々続いた家を守る、このような宿今も一つあるわけです。そういう中で五百人ぐらい名古屋の方まで長距離を通勤して国鉄に勤めたりしてみえるわけです。国鉄職員の余剰人員が九州とか北海道で多いのは、そういう環境の方も随分見えると思うわけです。